鉄道貨物輸送の中でも、ひときわる異彩を放つ存在、それが「大物車(おおものしゃ)」です。
発電所や変電所で使われる巨大な変圧器など、道路の輸送では困難な「大きく」「重い」貨物を運ぶために作られた特殊な車両で、その中でも特に有名なのが「シキ850」です。
めったに本線上を走る姿を見ることができないため、鉄道ファンの間では「見ることができたら幸運」とまで言われるほどの珍しい車両です。この記事では、そんな謎多き貨車「シキ850」がどのような車両なのか、その特徴や構造、活躍の舞台裏まで、やさしくわかりやすく解説していきます。
巨大な積荷を運ぶ特殊車両「シキ850」とは?
シキ850は、私たちの生活に欠かせない電気を安定して供給するために、巨大な変圧器などを安全に目的地まで送り届けるという重要な使命を担っています。まずは、この特殊な貨車が一体どのようなものなのか、基本的な情報から見ていきましょう。
そもそも「大物車(シキ)」ってどんな貨車?
「シキ」という名前は、貨車の種類を表す記号です。 「シ」は重量物を運ぶ「大物車」を、「キ」は積載量が25トン以上であることを示しています。 つまり「シキ」と付く貨車は、「25トン以上の重量物を運ぶための特殊な貨車」ということになります。
大物車の最大の特徴は、一般的な貨車では運べないような、特に大きくて重い貨物を運ぶために特化した構造を持っている点です。 身近な例で言えば、発電所や変電所で使われる巨大な変圧器などがその代表例です。 これらの設備は、私たちの生活を支える電力インフラに不可欠ですが、非常に巨大で重量もあるため、通常のトラックや貨車で輸送することはできません。
そこで登場するのが大物車です。貨物を積む部分の床を極端に低くしたり、車両自体を分割して貨物を挟み込むようにして運んだりと、様々な工夫が凝らされています。 また、その重さを支えるために、車輪の数(軸数)が非常に多いのも大きな特徴です。
シキ850の誕生背景と目的
シキ850が製造されたのは1976年(昭和51年)のことです。 当時の日本は高度経済成長期を経て、電力需要がますます増大していました。それに伴い、発電所や変電所で使用される変圧器もより大型化していく傾向にありました。
こうした巨大な変圧器を安全かつ効率的に輸送するため、日本車輌製造で1両だけ特別に作られたのがシキ850です。 所有者は日本通運で、国鉄(現在のJR貨物)に車籍を置く「私有貨車」という位置づけになります。
シキ850は、最大で115トンもの貨物を積むことができる「分割落し込み式」という構造で誕生しました。 さらに翌年の1977年には、荷物を積む部分(荷受梁)を交換することで、85トン積みの「分割低床式」としても使えるように改造され、より多様な貨物に対応できるようになりました。 このように、時代の要請に応じて、特殊な貨物を運ぶという目的のために生み出されたのがシキ850なのです。
シキ850の基本的なスペック(諸元)
シキ850は、貨物の種類によって荷受梁(にうけばり)と呼ばれるパーツを交換できるという特徴があります。ここでは、「C梁」と呼ばれる分割落し込み式と、「D梁」と呼ばれる分割低床式の2つの形態における基本的なスペックを比較してみましょう。
| 項目 | シキ850C(分割落し込み式) | シキ850D(分割低床式) |
|---|---|---|
| 製造年 | 1976年(昭和51年) ※D梁は1977年追加製造 | |
| 製造所 | 日本車輌製造 | |
| 所有者 | 日本通運 | |
| 全長 | 25,350 mm | 26,430 mm |
| 自重(貨物を積んでいないときの重さ) | 47.1 t | 73.1 t |
| 荷重(積める貨物の最大重量) | 115 t | 85 t |
| 台車形式 | NC-7形 3軸ボギー台車 × 4台 | |
| 軸数 | 12軸 | |
| 最高速度 | 積車時: 65 km/h, 空車時: 75 km/h | |
シキ850の構造の秘密に迫る

最大115トンもの巨大な貨物をどうやって運び、どのようにしてカーブを曲がるのでしょうか。シキ850の見た目は非常にユニークですが、その形状にはすべて意味があります。ここでは、安全に重量物を輸送するための構造的な秘密に迫ります。
荷物を2つの車体で挟み込む「分割」構造
シキ850の最大の特徴は、車両が前後に分割できる構造になっている点です。 通常の貨車のように平らな荷台の上に貨物を載せるのではなく、前後の車体ユニットの間に「荷受梁」と呼ばれる頑丈な梁を渡し、そこに貨物を固定します。
シキ850には、積荷の形状に合わせて2種類の荷受梁が用意されています。
C梁(分割落し込み式)
2本の巨大な梁で貨物を左右から挟み、その梁の間に貨物を落とし込むようにして固定する方式です。 これにより、貨物の重心を下げることができ、走行中の安定性を高めることができます。 最大115トンの貨物に対応可能です。
D梁(分割低床式)
低い床を持つ荷台部分に貨物を載せる方式です。 この低床部分は取り外しが可能で、貨物を載せたままコロなどを使って移動させることができます。 クレーンが使いにくい場所での荷役作業に有利な構造です。 こちらは最大85トンの貨物に対応します。
これらの荷受梁を付け替えることで、一台の貨車で特性の異なる二つの形式として運用できるのが、シキ850の大きな強みと言えるでしょう。
多くの車輪が支える重量分散の仕組み
シキ850を横から見ると、たくさんの車輪が並んでいるのがわかります。これは、貨物と車両自体の重さを多くの車輪に分散させ、線路にかかる負担を軽減するための重要な仕組みです。
鉄道の線路は、1つの車軸あたりにかかる重さの上限(軸重)が定められています。 もし車輪の数が少ないと、1点に重さが集中してしまい、線路を傷めたり、最悪の場合は脱線事故につながる危険性があります。
そこでシキ850は、「3軸ボギー台車」という、1つの台車に3つの車軸(6個の車輪)を持つ特殊な台車を採用しています。 そして、この3軸ボギー台車を前後の車体に2台ずつ、合計4台装備することで、総軸数は12軸にもなります。 これにより、最大で115トン(C梁使用時)もの貨物を積んでも、1軸あたりの重さを規定値以下に抑え、安全に走行することができるのです。この多数の車輪こそが、大物車の見た目を特徴づける最大の要素であり、安全輸送を支える心臓部と言えます。
カーブを曲がるための特殊な台車
全長が25メートルを超え、12もの軸を持つシキ850が、どのようにしてスムーズにカーブを曲がるのか、不思議に思う方も多いでしょう。その秘密は、台車の構造に隠されています。
シキ850が採用しているのは「NC-7形」というイコライザー式の3軸ボギー台車です。 「イコライザー(equalizer)」とは「均等にするもの」という意味で、複数の車輪に重さが均等にかかるようにする梁(はり)のことです。 これにより、線路のわずかな凹凸や歪みに対しても、各車輪がしっかりとレールに追従することができます。
さらに、2台の3軸ボギー台車の上には「枕梁(まくらばり)」という大きな梁が載せられ、その枕梁の上に、貨物を支える「荷受梁」が接続されています。 カーブに差し掛かると、まず各台車がレールの曲線に合わせて向きを変えます。そして、台車と枕梁、枕梁と荷受梁の間にある「心皿(しんざら)」という回転部分がそれぞれ動くことで、長い車体全体がしなやかにカーブを通過していくのです。 この複雑で精巧な仕組みによって、シキ850は巨体にもかかわらず、日本の鉄道網を走行することが可能となっています。
シキ850が運んだものと輸送の舞台裏
めったに動くことのないシキ850ですが、一度任務に就くと、日本の産業を支える非常に重要な役割を果たします。一体どのようなものを運び、どのようにして目的地まで届けられるのでしょうか。その知られざる輸送の舞台裏をのぞいてみましょう。
主な積荷は巨大な「変圧器」
シキ850が運ぶ貨物の代表格は、発電所や変電所に設置される大型の変圧器です。 変圧器は、発電所で作られた高い電圧の電気を、私たちが家庭や工場で使えるように低い電圧に変換するための重要な設備です。
近年の電力需要の増加に伴い、これらの変圧器は非常に大型化・大重量化しています。 その重さは100トンを超えることも珍しくなく、大きさも鉄道の車両限界ギリギリになることがあります。 このような巨大な貨物は、分解して運ぶことが難しいため、工場で完成させた状態で輸送する必要があります。
しかし、道路輸送ではトンネルの高さや橋の重量制限など、多くの制約があります。 そこで、鉄道輸送、特にシキ850のような大物車が活躍するのです。シキ850は、こうした社会インフラを支える「縁の下の力持ち」として、人々の目に触れないところで重要な役割を担っています。
深夜に行われる特別な輸送ミッション
シキ850による輸送は、他の列車の運行が少ない深夜に行われることがほとんどです。 これにはいくつかの理由があります。
第一に、安全確保のためです。シキ850は貨物を積むと非常に重くなり、最高速度も時速65kmと、他の列車に比べて低速で走行します。 そのため、日中のように多くの旅客列車や高速貨物列車が走る時間帯では、ダイヤの大きな妨げになってしまいます。 深夜であれば、運行本数が少ないため、他の列車への影響を最小限に抑えながら、ゆっくりと安全に走行することができます。
第二に、貨物の特殊性です。運んでいるのは非常に高価で精密な機器であり、万が一の事故は絶対に許されません。慎重な運転が求められるため、交通量の少ない時間帯が選ばれるのです。輸送は数日がかりで行われることも多く、日中は駅の側線などで待機し、夜間に再び走り出すというパターンが一般的です。 この特別な輸送ミッションは、まさに鉄道のプロフェッショナルたちによる静かな挑戦と言えるでしょう。
走行ルートの制約と事前準備
シキ850は、その大きさと重さから、日本のどの鉄道路線でも走れるわけではありません。走行できる線路は、車両限界(トンネルや鉄橋などの構造物に接触しないか)や、線路の強度(軸重に耐えられるか)など、厳しい条件をクリアした区間に限られます。
そのため、輸送計画は非常に緻密に立てられます。まず、出発地から目的地までのルートを入念に調査し、走行可能な路線を選定します。その上で、輸送する貨物の正確な寸法と重量を基に、途中のカーブや分岐器(ポイント)を安全に通過できるかなどを詳細にシミュレーションします。
時には、線路脇の標識や信号機などを一時的に移設するなどの準備作業が必要になることもあります。また、輸送当日は、列車の前後に機関車を連結する「プッシュプル」運転を行ったり、安全確認のために係員が添乗したりと、万全の体制が敷かれます。このように、一つの輸送ミッションを成功させるために、長期間にわたる周到な準備と多くの人々の努力が隠されているのです。
他のシキ形式との違いと比較
「シキ」と名が付く大物車は、シキ850以外にも様々な形式が存在します。それぞれに得意なことや構造上の違いがあります。ここでは、他の代表的な大物車とシキ850を比較することで、その個性や特徴をより深く掘り下げていきましょう。
分割低床式の代表格「シキ1000形」
シキ1000形は、シキ850と並んで現代の大物車を代表する形式の一つです。1975年に登場し、現在もJR貨物が所有しています。シキ850が「落し込み式」と「低床式」の2つの顔を持つのに対し、シキ1000形は「分割低床式(D梁)」に特化した大物車です。
最大の特徴は、荷台の低床部分を3つに分割できる点です。これにより、貨物の形状や大きさに合わせて荷台の長さを調整することができ、汎用性の高さにつながっています。積載荷重は55トンと、シキ850に比べると小さいですが、その分、より多くの路線に入線できるというメリットがあります。
構造的には、2軸ボギー台車を合計4台、8軸で構成されており、シキ850の12軸と比べるとコンパクトです。最高速度は積車時・空車時ともに75km/hで、シキ850(積車時65km/h)よりも高速走行が可能です。汎用性と機動性に優れたシキ1000形と、より大きく重い貨物に対応できるシキ850は、それぞれの特性を活かして日本の貨物輸送を支えています。
兄弟のような存在「シキ800形」
シキ800形は、1973年に登場した大物車で、シキ850よりも少し先輩にあたります。 2両(シキ800、シキ801)が製造され、日本通運が所有しています。 このシキ800形は、シキ850と非常に似たコンセプトで設計されており、兄弟のような存在と言えるかもしれません。
シキ800形も、貨物の形状に応じて荷受梁を交換できる構造になっています。 主に「吊り掛け式(B梁)」と「落し込み式(C梁)」の2種類を使い分けることができ、最大で155トン(B1梁使用時)もの超重量級貨物を輸送する能力を持っていました。
足回りも特徴的で、2軸ボギー台車をなんと8台、合計16軸32輪という、まさに「ムカデ」のような外観をしています。 これは、1軸あたりの重量を極限まで分散させるための設計です。最高速度は積車時で45km/hとシキ850より低速で、より慎重な運転が求められます。 より重い貨物を、よりゆっくりと運ぶことに特化したのがシキ800形、積載量と走行性能のバランスを取ったのがシキ850形と位置づけることができるでしょう。
かつて活躍した多様な大物車たち
日本の鉄道史には、シキ850のほかにも多種多様な大物車が活躍してきました。例えば「シキ600形」は、最大240トンという、日本の鉄道史上最大級の積載量を誇った大物車です。 また、「シキ180形」は荷台が大きく窪んだ「低床式(A梁)」と呼ばれるタイプで、背の高い貨物を運ぶのに適していました。
これらの大物車は、積載方法によって大きく4種類に分類され、それぞれアルファベットで呼ばれています。
シキ850は、このうちC梁とD梁の機能を併せ持つ、非常に多機能な大物車であることがわかります。 時代とともに多くの大物車が引退していく中で、シキ850は今なお現役で活躍を続ける貴重な存在なのです。
シキ850の現在と今後の展望
製造から半世紀近くが経過した現在も、シキ850は日本の物流を支える重要な存在です。ここでは、そんなシキ850の現在の状況や、鉄道ファンから見た魅力、そして今後の展望について解説します。
現在の所属と保管場所
シキ850は、製造当初から日本通運が所有する私有貨車です。 かつては神奈川県川崎市にある末広町駅を拠点としていましたが、全般検査などを経て、現在は宇都宮貨物ターミナル駅が常備駅となっています。
輸送の任務がないときは、この宇都宮貨物ターミナル駅の構内で待機していることが多く、その独特な姿を見ることができます。しかし、大物車はその性質上、輸送の頻度が非常に少ないのが特徴です。 年に数回、変圧器の新規設置や更新などの需要が発生したときに、ようやく出番が回ってきます。 そのため、実際に走行している姿を目撃するのは非常に難しく、鉄道ファンの間では「幻の貨車」とも呼ばれています。
鉄道ファンからの注目度と撮影の魅力
その希少性から、シキ850は鉄道ファンから絶大な人気と注目を集めています。 ひとたび輸送計画が明らかになると、その情報は瞬く間にファンの間で共有され、沿線にはその勇姿をカメラに収めようと多くの人々が集まります。
シキ850の魅力は、なんといってもその唯一無二の存在感と迫力にあります。たくさんの車輪が連なる複雑な足回り、巨大な貨物を抱え込むようにして進む姿は、他のどんな鉄道車両にもない独特のオーラを放っています。
特に、機関車に牽引されてゆっくりとカーブを曲がっていく様子は圧巻の一言です。深夜の暗闇の中を、静かに、しかし力強く進むその姿は、多くのファンを魅了してやみません。めったに出会えないからこそ、出会えた時の感動は格別であり、それがシキ850を追いかける大きな原動力となっているのです。
大物車輸送の未来とシキ850の役割
近年、道路網の整備や大型トレーラーの技術革新により、かつて鉄道が担っていた重量物輸送の一部は陸上輸送へとシフトしています。 しかし、それでもなお、変圧器のような超大型・超重量の貨物輸送においては、鉄道の優位性は揺らいでいません。 特に、山間部や都市部など、道路事情が複雑な場所への輸送では、大物車が不可欠な存在です。
今後も、電力インフラの維持・更新のために、大型変圧器の輸送需要は継続的に発生すると考えられます。製造から50年近くが経過し、老朽化も懸念されますが、シキ850は定期的な検査やメンテナンスを受けながら、今なおその重要な役割を担い続けています。
すぐに後継機が作られるという話は今のところありません。当面の間、シキ850は、同じく現役で活躍するシキ801形やシキ1000形と共に、日本の産業基盤を支える「最後の砦」として、その走りを見せてくれることでしょう。
まとめ:日本の産業を支える縁の下の力持ち、シキ850

この記事では、特殊な貨物列車「シキ850」について、その誕生の背景から特徴的な構造、そして現在の活躍に至るまでを詳しく解説してきました。
シキ850は、ただ珍しいだけの貨車ではありません。私たちの生活に不可欠な電力を安定供給するため、巨大な変圧器などを安全に運ぶという、非常に重要な使命を担っています。その独特な姿は、重い荷物を多くの車輪で支え、狭い日本の線路を安全に走行するための知恵と技術の結晶です。
普段、私たちがその存在を意識することはほとんどありませんが、深夜の線路の上では、このような特殊な車両が日本の産業と暮らしを静かに支えています。もし偶然、線路の脇で待機しているシキ850の姿を見かけることがあれば、その力強い姿と、それを支える人々の努力に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。



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