小田急20000形(RSE)の魅力とは?引退後の現在から特徴まで詳しく紹介

小田急20000形(RSE)の魅力とは?引退後の現在から特徴まで詳しく紹介
小田急20000形(RSE)の魅力とは?引退後の現在から特徴まで詳しく紹介
鉄道の仕組みと用語解説

小田急20000形は、かつて小田急電鉄で活躍した特急ロマンスカーの一種で、「RSE(Resort Super Express)」という愛称で親しまれました。1991年にデビューしたこの車両は、それまでのロマンスカーのイメージを覆す斬新なデザインと、豪華な設備を備えたことで大きな話題となりました。

淡いピンクとブルーをまとったスタイリッシュな外観は、今でも多くの鉄道ファンや沿線住民の記憶に深く刻まれています。新宿から富士山の麓である御殿場までを駆け抜けた、華やかな時代の主役といえる存在です。この記事では、小田急20000形の特徴や歴史、そして現在の姿について、優しく丁寧に解説していきます。

小田急20000形の歴史と「RSE」という愛称の由来

小田急20000形が誕生した背景には、JR御殿場線への直通運転という大きな目的がありました。それまで使われていた3000形(SSE)の老朽化に伴い、新しい時代にふさわしい快適な車両として開発が進められたのです。ここでは、その成り立ちと愛称に込められた想いについて振り返ります。

御殿場線直通のために誕生した背景

小田急電鉄は古くから、JR(当時は国鉄)御殿場線へ乗り入れる特急「あさぎり」を運行していました。初代の直通車両である3000形(SSE)は、新幹線の開発にも影響を与えた名車でしたが、製造から30年以上が経過し、設備の古さが目立つようになっていました。そこで、より現代的で観光ニーズに応えられる車両が必要になったのです。

1991年、JR東海との相互直通運転の開始に合わせて登場したのが小田急20000形です。この車両は、小田急線内だけでなく、JR東海の規格にも合わせて設計されました。そのため、それまでのロマンスカーの伝統だった「連接車(車両同士の間に台車がある構造)」ではなく、一般的なボギー車(各車両に台車がある構造)が採用されたのが大きな特徴です。

新宿から沼津までを結ぶ長距離ランナーとして、快適性と走行性能を両立させることが求められました。この新しい挑戦は当時の鉄道界でも注目を集め、ロマンスカーの新しい方向性を示すものとなりました。富士山観光のメインルートを担う重責を背負い、鮮やかにデビューを飾ったのです。

「RSE(Resort Super Express)」に込められた意味

小田急20000形には「RSE」という愛称が付けられました。これは「Resort Super Express」の頭文字を取ったものです。当時の日本はバブル景気の名残もあり、余暇を楽しむ「リゾート」という言葉が非常に輝きを持っていました。この車両はまさに、日常を離れて箱根や富士山へ向かう高揚感を演出するために作られたのです。

デザインコンセプトも「リゾート」を強く意識したものでした。それまでのロマンスカーといえば、オレンジ色をベースにした重厚なカラーリングが主流でしたが、RSEはホワイトの車体に、上質なパステルカラーのピンクとブルーを配しました。この爽やかな色彩は、青空や富士山の雪、そして咲き誇る花々をイメージさせ、見る人を明るい気持ちにさせました。

この愛称は車両の側面にも誇らしげに掲げられ、利用客にとっても「これから特別な場所へ行くんだ」という期待感を高めるシンボルとなりました。単なる移動手段ではなく、乗ること自体が旅の楽しみになるような、究極のリゾート特急を目指した姿勢がこの名前に凝縮されています。

ブルーリボン賞を受賞した評価の高さ

小田急20000形はその優れたデザインと革新的な設備が認められ、1992年に「ブルーリボン賞」を受賞しました。この賞は、鉄道友の会が毎年、前年に登場した車両の中から最も優秀であると認めた車両に贈る、鉄道界で最も名誉ある賞の一つです。小田急電鉄にとっては、歴代のロマンスカーが築いてきた伝統を継承する素晴らしい成果となりました。

授賞の理由としては、JRとの相互直通運転という難しい条件下で、非常に高いレベルの居住性とデザインを実現した点が挙げられます。特に、後に詳しく触れる「ハイデッカー構造」や「ダブルデッカー車」の導入は、当時の鉄道ファンだけでなく一般の乗客からも絶大な支持を集めました。

受賞を記念したヘッドマークを掲げて走る姿は、沿線の人々にとっても誇らしい光景でした。小田急20000形は、名実ともに日本を代表する特急車両としての地位を確立したのです。この受賞は、その後の小田急の車両開発にも大きな影響を与えることとなりました。

【補足】ブルーリボン賞とは、鉄道友の会の会員(約3,000名)による投票をもとに、選考委員会が選定する賞です。デザイン性だけでなく、技術的な先進性や運用面での工夫も評価の対象となります。

小田急20000形ならではの豪華な車両設計と内装

小田急20000形が今でも語り継がれる理由の一つに、その圧倒的な「眺望へのこだわり」があります。乗客に最高の景色を楽しんでもらうため、従来の車両では考えられなかったような大胆な構造が取り入れられました。ここでは、RSEの内装や設計の秘密に迫ります。

見晴らし抜群のハイデッカー構造と大窓

小田急20000形の最大の特徴は、床面を通常よりも高く設計した「ハイデッカー構造」を採用している点です。これにより、乗客の視線が一般的な車両よりも高くなり、窓の外に広がる景色をより遠くまで見渡せるようになりました。沿線の田園風景や、御殿場付近で見える雄大な富士山を眺めるには最高の仕掛けでした。

さらに、その眺望をサポートするために、窓のサイズも非常に大きく設計されました。側面の窓は縦方向に広げられ、視界を遮る柱も最小限に抑えられています。座席に座ると、まるでパノラマ映画を見ているかのような感覚を味わうことができました。この「空飛ぶような視界」は、多くの旅行者を魅了したのです。

ただし、ハイデッカー構造には車内に階段が必要になるという側面もありました。バリアフリーという概念が一般化する前の設計だったため、当時の技術としては「最高の景色」を優先した結果といえます。乗客はデッキから数段のステップを上がって客室に入りますが、その階段の先にある広々とした景色に、誰もが歓喜の声を上げました。

小田急初のダブルデッカー(2階建て車)の導入

小田急20000形を語る上で欠かせないのが、編成の中間に連結された2階建て車両(ダブルデッカー)です。ロマンスカー史上、2階建て車両が導入されたのはこのRSEが初めてのことでした。7両編成のうち2両がこのダブルデッカー構造になっており、その存在感は抜群でした。

2階部分はグリーン車(スーパーシート)となっており、より高い位置からの絶景を楽しむことができました。一方で1階部分は、普通車の座席のほかに、グループ旅行に最適なセミコンパートメント(半個室)が設けられていました。1階席は線路に近い視点になるため、普段は見ることができない流れるような地面の景色を楽しむという、また違った面白さがありました。

このダブルデッカーの連結により、列車のシルエットは非常にダイナミックなものとなりました。遠くから走ってくる姿を見ても、中央の2階建て部分が盛り上がっているため、一目でRSEだと識別できました。子供たちにとっても「2階建ての電車」は憧れの的であり、予約がすぐに埋まるほどの人気を博しました。

ゆったりとした座席と快適なグリーン車(スーパーシート)

車内の居住性も、リゾート特急の名に恥じない素晴らしいものでした。普通車の座席であっても、シートピッチ(座席の間隔)は十分に確保されており、足を伸ばしてゆったりとくつろぐことが可能でした。シートの色調も落ち着いたパープル系で統一され、高級感あふれる空間が広がっていました。

そして、2階建て車両の2階部分に設けられた「特別席」は、JRのグリーン車に相当する「スーパーシート」と呼ばれました。ここでは、1列に3席(2人掛け+1人掛け)という非常に贅沢な配置がなされていました。一人当たりのスペースが非常に広く、厚みのあるシートが体を優しく包み込んでくれました。

また、シートにはオーディオサービスを楽しむための設備や、読書灯なども完備されていました。現在の特急車両と比べても遜色のない、あるいはそれ以上の贅沢な時間が流れていたのです。移動時間そのものを上質な休息に変えてくれる、そんなこだわりが車内の至るところに散りばめられていました。

【小田急20000形の主なスペック】

項目 内容
編成 7両固定編成
最高速度 110km/h(小田急線内)
愛称 RSE(Resort Super Express)
受賞歴 1992年 ブルーリボン賞
特徴 ハイデッカー、ダブルデッカー(2階建て車)

特急「あさぎり」としての活躍とJR371系との関係

小田急20000形は、主に新宿と沼津を結ぶ特急「あさぎり」として運用されました。この列車は小田急とJR東海が協力して運行する特別な存在であり、そこには他にはないユニークな特徴がありました。ライバルであり仲間でもあった、JRの車両との関係性についても詳しく見ていきましょう。

新宿と沼津を繋いだ相互直通運転の歴史

特急「あさぎり」は、新宿駅から小田急線を走り、新松田駅付近にある連絡線を通ってJR御殿場線へと入ります。そのまま御殿場駅を経由して、東海道本線の沼津駅まで直通していました。都心から富士山近郊、そして駿河湾の入り口である沼津までを一本の列車で結ぶこのルートは、ビジネスと観光の両面で重宝されました。

小田急20000形が登場した1991年から、それまでの連絡急行から特急へと格上げされ、利便性が大幅に向上しました。1日4往復のダイヤが組まれ、都心から御殿場までの所要時間は約1時間半、沼津までは約2時間で結ばれました。週末には多くの観光客が大きな窓から富士山を眺めながら、楽しいひとときを過ごしたものです。

この相互直通運転は、鉄道会社同士の垣根を超えた協力体制の象徴でもありました。乗務員は会社が変わる境界駅で交代しますが、車両はそのまま走り抜けます。小田急の車両がJRの駅に、JRの車両が小田急の新宿駅に顔を出すという光景は、鉄道ファンにとっても非常に魅力的なシーンでした。

JR東海の371系電車との共通設計と違い

特急「あさぎり」の運行開始に合わせて、JR東海側でも新型車両が導入されました。それが「371系」という車両です。驚くべきことに、小田急20000形とJR東海371系は、基本的な性能や車内の設備配置をほぼ共通にするという手法が取られました。これにより、どちらの会社の車両が来ても、乗客が受けるサービスに差が出ないよう配慮されたのです。

例えば、両車ともに7両編成で、中央の2両(3号車・4号車)が2階建て車両になっている点は共通です。しかし、デザインにはそれぞれの会社の個性が強く現れていました。小田急20000形がパステルカラーの優しい印象だったのに対し、JR東海の371系はホワイトにブルーのラインを配した、新幹線を彷彿とさせるシャープで都会的なデザインでした。

車内の雰囲気も、小田急は「リゾート」を意識した温かみのある内装でしたが、JR東海はメタリックな質感を取り入れたモダンな作りになっていました。同じ設計図から生まれた兄弟のような車両でありながら、それぞれのブランドイメージを大切にしていた点が、当時の鉄道ファンの楽しみでもありました。

富士山観光の主役として愛された日々

小田急20000形が最も輝いていたのは、やはり車窓から富士山がはっきりと見える冬の晴れた日でした。御殿場線内に入ると、列車のすぐ近くに雄大な富士山が迫ってきます。ハイデッカーから眺めるその姿は圧巻で、車内ではあちこちから感嘆の声が上がりました。まさに富士山観光の主役と呼ぶにふさわしい活躍ぶりでした。

また、沼津駅まで乗り入れていたことで、伊豆方面へのアクセスの一翼も担っていました。沼津で新鮮な海鮮料理を楽しんだり、バスに乗り換えて西伊豆の温泉へ向かったりと、RSEは多くの人々の思い出の出発点となりました。家族旅行やデート、一人旅など、あらゆるシーンで愛される存在だったのです。

夏休みなどの繁忙期には、臨時列車としても運用され、江ノ島方面など他の路線に顔を出すこともありました。どこへ行ってもその大きな車体と明るいカラーリングは目立ち、沿線の子供たちが手を振る光景が日常的に見られました。RSEは単なる機械ではなく、沿線の風景を彩る大切なピースだったと言えるでしょう。

JR東海の371系は、後にリニューアルされて富士急行へ譲渡されるなど、小田急20000形と似たような運命を辿ることになります。現在は両車とも富士山の麓で第2の人生を送っているのは、不思議な縁を感じさせます。

2012年の惜しまれつつ迎えた現役引退とその理由

20年以上にわたって第一線で活躍し続けた小田急20000形ですが、2012年に惜しまれながら現役を引退することとなりました。ロマンスカーの中でも比較的新しい部類に見えたRSEが、なぜこのタイミングで引退を選んだのでしょうか。そこには、時代の変化と切実な課題がありました。

バリアフリーへの対応とハイデッカーの課題

引退の最大の要因の一つと言われているのが、2000年に施行された「バリアフリー新法」への対応です。小田急20000形は、眺望を優先するために床を高くしたハイデッカー構造を採用していました。これが結果として、車内に多くの段差を生むことになってしまったのです。

車椅子を利用される方や、足腰の弱い高齢の方にとって、客室に入る際の数段のステップは大きな障害となりました。現在の鉄道車両では、ホームから座席まで段差なしで移動できることが求められますが、RSEの基本構造をバリアフリー化するには、車両の作りを根本から変えるほどの大規模な改造が必要でした。

また、2階建て車両についても同様の課題がありました。階段を使わなければ2階席へ行けない構造は、新しい時代のニーズにそぐわなくなってしまったのです。景色を楽しむための工夫が、皮肉にも引退を早める要因の一つになってしまったことは、鉄道ファンにとっても非常に心苦しい事実でした。

時代のニーズと車両の老朽化による置き換え

さらに、運用面での変化も引退に影響しました。JR御殿場線への直通運転は継続されましたが、利用客の変動に合わせて編成を柔軟に変更できることが求められるようになりました。7両固定編成で、かつ特殊な構造を持つRSEは、効率的な運用を組むのが難しくなってきたのです。

また、製造から20年が経過し、目に見えない部分での老朽化も進んでいました。特に高速走行を支えるモーターや制御装置などは、最新の車両と比べるとエネルギー効率やメンテナンス性の面で見劣りするようになってきました。小田急電鉄は、次世代のロマンスカーとして「60000形(MSE)」を導入することを決め、RSEを置き換える判断を下しました。

MSEは地下鉄千代田線への乗り入れも可能な万能型の車両で、バリアフリーにも完全対応していました。時代が「豪華なリゾート特急」から「機能的で誰にでも優しい特急」へと移り変わっていく中で、RSEはその役割を終える時期を迎えたのでした。しかし、その輝きが失われたわけではありません。

ファンが詰めかけたラストランと引退セレモニー

2012年3月、小田急20000形のラストランが行われました。最後の日を見届けようと、沿線や主要な駅には数えきれないほどの鉄道ファンが集まりました。新宿駅のホームで行われた出発式では、長年この車両を愛してきた乗客や職員たちから、感謝の拍手が送られました。

最終列車が走り去る際、多くの人がカメラを向け、中には涙を流して別れを惜しむ人の姿もありました。RSEが駆け抜けた21年間は、決して長いものではありませんでしたが、その濃密な活躍は人々の心に深く刻まれていたのです。車内放送でも、乗務員からこれまでの感謝を伝える特別なアナウンスが流れ、感動的なフィナーレを迎えました。

引退後、多くの車両は解体の運命を辿りましたが、その一部は保存されたり、他の鉄道会社へ譲渡されたりすることになりました。小田急の線路からは姿を消しましたが、その魂は別の形で受け継がれていくことになります。ファンにとって、それは唯一の救いとも言えるニュースでした。

【豆知識】小田急20000形の引退と同じタイミングで、兄弟車だったJR東海の371系も「あさぎり」の運用から外れました。これにより、1991年から続いた豪華2階建て車両による相互直通運転の歴史に、ひとつの区切りが打たれました。

現在は富士山麓で活躍!富士急行への譲渡と第二の人生

小田急の線路を去った20000形ですが、実は今でも元気に走り続けている姿を見ることができます。その舞台は、かつての目的地でもあった富士山の麓、山梨県を走る「富士急行(富士山麓電気鉄道)」です。姿を変えて活躍する現在の様子をご紹介します。

富士急行8000系「フジサン特急」としての再出発

小田急を引退した20000形のうち、状態の良かった3両が富士急行へと譲渡されました。そこで大規模なリニューアル工事を受け、2014年に「富士急行8000系」としてデビューを果たしました。愛称は「フジサン特急」となり、今度は富士急行線の主役として返り咲いたのです。

外観は小田急時代のパステルカラーから一転、公募で選ばれた100種類以上の可愛らしい「富士山キャラクター」が描かれた楽しいデザインになりました。白地にさまざまな表情の富士山が描かれた姿は、子供たちや外国人観光客に大人気となっています。かつての優雅な印象から、親しみやすいキャラクター列車へと見事に変身を遂げました。

しかし、その特徴的なハイデッカー構造や大きな窓はそのまま活かされています。富士急行線内からは、小田急線内よりもさらに間近に富士山を望むことができます。RSEが持っていた「景色を楽しむための性能」が、これ以上ないほど最適な場所で再び発揮されているのは、本当に喜ばしいことです。

小田急時代の面影を残すリニューアルの工夫

富士急行8000系として生まれ変わる際、車内も現代のニーズに合わせてリニューアルされました。しかし、小田急時代のファンにとって嬉しいのは、随所に「RSEの面影」が残されていることです。例えば、座席の形状や一部の仕切りなどは、当時の雰囲気を色濃く残しています。

特に注目なのは、先頭車両の展望スペースです。運転席のすぐ後ろにある特等席は、かつてのロマンスカーのワクワク感を思い出させてくれます。また、かつてグリーン車(スーパーシート)だった座席の一部が活用されており、よりリーズナブルな料金で豪華な座席を体験できる点も、現在のフジサン特急の魅力となっています。

さらに、車内には「富士山ビュー特急」としての演出も加えられています。木材を多用した温かみのある内装への変更や、観光案内を強化したサービスなど、第2の人生を歩むにあたっての工夫が随所に見られます。かつて新宿から沼津へ向かっていた車両が、今は大月と河口湖を結び、変わらず富士山を見守り続けている姿は、鉄道ファンにとって感動的な光景です。

ロマンスカーミュージアムで保存される貴重な車両

富士急行へ行けなかった車両の一部は、小田急電鉄の手によって大切に保存されています。2021年、神奈川県海老名市にオープンした「ロマンスカーミュージアム」には、小田急20000形(RSE)の先頭車両と、最大の特徴であったダブルデッカー車両が展示されています。

ここでは、現役当時の美しいカラーリングと輝きを保ったままの姿を間近で見ることができます。車内に入ることも可能で、あの広い窓からの視界や、豪華なシートの質感を再び体験することができます。かつて旅を楽しんだ思い出を持つ人たちが、子供や孫を連れて訪れ、当時の思い出を語り合う場所となっています。

ミュージアムでの保存は、この車両が小田急の歴史においていかに重要な存在であったかを証明しています。走る姿は見られなくなりましたが、そのデザインの美しさや技術の高さは、次世代へと語り継がれていくことでしょう。海老名の地で静かに佇むRSEは、今も多くの人々にロマンスカーの夢を与え続けています。

ロマンスカーミュージアムでは、歴代の特急車両と並んで展示されており、それぞれの車両が持つ時代の背景を比較することができます。RSEの「リゾート感」が他の車両と比べてもいかに際立っていたか、ぜひその目で確かめてみてください。

小田急20000形の思い出と今なお愛される理由まとめ

まとめ
まとめ

小田急20000形、通称「RSE」は、1990年代という華やかな時代を象徴する、まさに「夢のリゾート特急」でした。淡いパステルカラーに包まれた美しい車体と、景色を最大限に楽しむためのハイデッカーやダブルデッカー構造は、当時の鉄道界に新しい風を吹き込みました。JRとの相互直通運転という大きな使命を果たし、新宿と富士山を結ぶ懸け橋として活躍した姿は、今でも色褪せることがありません。

時代の流れとともに、バリアフリー対応などの課題から小田急線内からは引退しましたが、その物語は終わりませんでした。一部は富士急行へと譲渡され、現在も「フジサン特急」として富士山の麓を元気に走り続けています。また、ロマンスカーミュージアムでは当時の輝きそのままに保存され、訪れる人々に感動を与え続けています。こうした「第二の人生」の豊かさこそが、小田急20000形がいかに多くの人に愛されていたかの証拠だと言えるでしょう。

もし、あなたが富士山方面へ旅行に出かける機会があれば、ぜひ富士急行で「フジサン特急」を探してみてください。あるいは海老名のミュージアムで、その優雅な姿に触れてみてください。そこには、かつて多くの人の旅を彩った小田急20000形の情熱と、鉄道が持つワクワクするような魅力が今も息づいています。時代を超えて愛される名車の記憶は、これからも私たちの心の中で走り続けていくはずです。

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