川崎縦貫高速鉄道という名前を聞いて、どのようなイメージを持つでしょうか。かつて川崎市が「第3の政令指定都市の地下鉄」として、総力を挙げて計画していた鉄道路線です。南北に細長い地形を持つ川崎市にとって、北部の麻生区や多摩区と、南部の川崎区や幸区を一本で結ぶ地下鉄は、長年の悲願でもありました。
しかし、現在その計画は事実上の中止(廃止)となっています。なぜ、多くの期待を背負った川崎縦貫高速鉄道は実現しなかったのでしょうか。そこには、膨大な建設コストや社会情勢の変化、そして代替手段の確保といった複雑な事情が絡み合っています。今回は、この幻の鉄道計画が歩んだ道のりと、現在の街づくりへの影響を詳しく紐解いていきます。
川崎縦貫高速鉄道とは?計画の全容とこれまでの歩み

川崎縦貫高速鉄道は、川崎市が主体となって建設を検討していた市営の地下鉄路線です。市の北西部に位置する新百合ヶ丘駅から、南東部の川崎駅周辺までを地下で結び、市内の移動を劇的に改善することを目指していました。
そもそもどのような計画だったのか
川崎縦貫高速鉄道の構想は、昭和の高度経済成長期にまで遡ります。当時の川崎市は人口が急増しており、特に北部の多摩ニュータウン開発などに伴い、都心へ向かう交通網だけでなく市域を縦断する交通の必要性が叫ばれていました。
具体的には、新百合ヶ丘駅から元住吉駅(後に武蔵小杉駅に変更)を経て、川崎駅までを結ぶ約22キロメートルの路線として検討されていました。これが実現すれば、現在はバスや乗り継ぎを駆使して1時間近くかかる南北の移動が、わずか30分程度に短縮されるはずでした。
国の運輸政策審議会においても「目標年次までに整備すべき路線」として位置づけられ、一時は着工直前まで話が進んでいました。しかし、時代の変化とともに逆風が吹き始め、計画は迷走することになります。
川崎市を縦断する「幻の地下鉄」のルート案
計画されていたルートは、大きく「第1期区間」と「第2期区間」に分かれていました。第1期は新百合ヶ丘駅から宮前平駅、そして武蔵小杉駅までの約15キロメートルです。この区間は特に通勤・通学需要が高いと見込まれていました。
途中の設置駅としては、新百合ヶ丘、長沢、医科大学前、蔵敷、犬蔵、宮前平、野川、久末、子母口、等々力、武蔵小杉などが候補に挙がっていました。それぞれの駅周辺では、地下鉄開業を見越した街づくりや土地区画整理が進められた場所もあります。
特に武蔵小杉駅では、JR南武線や東急東横線との接続を重視し、巨大な交通結節点としての役割を担う予定でした。もし完成していれば、多摩川沿いの移動は今とは全く異なる風景になっていたことでしょう。
昭和から平成へと続いた検討の歴史
このプロジェクトの歴史は長く、1960年代に最初の構想が発表されてから、2015年に計画休止が発表されるまで、約半世紀にわたって議論が続けられました。当初は「高速鉄道」として、一般的な地下鉄車両を走らせる予定でした。
しかし、1990年代のバブル崩壊後、市財政の悪化を受けて計画の見直しを余儀なくされます。そこで浮上したのが、建設費を抑えられる「リニアメトロ」方式や、さらには小型車両の導入、路面電車(LRT)への変更案などです。
2000年代に入ると、鉄道事業許可を一度は取得したものの、着工を見送り続ける事態となりました。市議会や市民の間でも、巨額の借金を抱えるリスクを懸念する声が強まり、計画は次第に現実味を失っていきました。
川崎縦貫高速鉄道の主な沿革
・1966年:都市交通審議会答申第9号で初めて位置づけられる
・2001年:新百合ヶ丘〜元住吉間の鉄道事業許可を取得
・2005年:需要予測の下落を受け、ルートを武蔵小杉駅経由に変更
・2015年:川崎市が「計画の廃止」を事実上決定
なぜ中止になった?川崎縦貫高速鉄道が実現しなかった理由

かつては「市民の夢」とも称された川崎縦貫高速鉄道が、なぜ最終的に断念されることになったのでしょうか。そこには単なる予算不足だけではない、複数の決定的な要因が重なっていました。
膨大な建設費と財政面の厳しさ
最大の壁となったのは、やはり膨大な建設コストです。地下鉄の建設には1キロメートルあたり数百億円という多額の費用がかかります。第1期区間だけでも4,000億円を超える事業費が見積もられていました。
川崎市は政令指定都市として比較的豊かな財政を持っていますが、これほどの巨額投資を一度に行うのは容易ではありません。特に、将来的な少子高齢化を見据えたとき、長期にわたる建設ローンの返済が市財政を圧迫するリスクが強く意識されました。
当初の予測では黒字化までに数十年かかるとされ、市民の間でも「将来世代に負担を残すべきではない」という慎重論が根強く広がりました。結果として、投資に対する費用対効果(B/C)が基準を下回るようになったことが致命傷となりました。
需要予測の下落と人口減少の影響
鉄道計画において最も重要な指標の一つが、将来の乗客数を示す「需要予測」です。構想初期の段階では、右肩上がりの人口増加を前提に強気な予測が立てられていました。しかし、2000年代以降の再試算では、その数字が大幅に下方修正されました。
働き方の多様化やテレワークの普及(予兆も含む)、さらには日本の総人口の減少局面への突入により、高額な運賃を払って地下鉄を利用する人が想定より少なくなると予測されたのです。これにより、採算性の確保が極めて困難であるという結論に至りました。
また、沿線の住宅開発が当初の予定通りに進まなかった場所もあり、駅を作っても利用者が限定的になる懸念も拭えませんでした。経営的な自立が困難と判断されたことは、公営交通として大きなマイナス材料となりました。
JR南武線の利便性向上による代替
川崎縦貫高速鉄道の役割の一部は、並行して走る「JR南武線」の改善によって代替できると考えられるようになったことも、中止を後押しする一因でした。南武線はかつて「開かずの踏切」や「激しい混雑」が問題視されていました。
しかし、連続立体交差事業(高架化)の推進や、新型車両の導入、快速列車の運転開始などにより、南武線の利便性は着実に向上しました。これにより、わざわざ多額の費用をかけて並行する地下鉄を作る必要性が薄れてしまったのです。
さらに、市内の南北移動はバスネットワークの強化でも対応可能であるという議論が現実味を帯びてきました。既存のインフラを活用する方が、新しい地下鉄を作るよりも圧倒的にコストパフォーマンスが良いという判断が下されました。
地下鉄計画が中止になった決定的な理由は、投資に見合うだけの利用客が見込めなくなったことと、市財政への悪影響を避けるための英断だったと言えます。
第1期区間と第2期区間の計画内容を詳しく見る

川崎縦貫高速鉄道の計画は、二つのステージに分かれていました。それぞれがどのような目的を持ち、どのようなルートを通る予定だったのかを詳しく振り返ることで、当時の構想の壮大さが分かります。
新百合ヶ丘から武蔵小杉を結ぶ第1期
計画の核心部と言えるのが、新百合ヶ丘駅から武蔵小杉駅までを結ぶ「第1期区間」です。この区間は小田急線、東急田園都市線、東急大井町線、JR南武線の各駅を串刺しにするようなルートで設計されていました。
特に注目されていたのが、鉄道の空白地帯であった宮前区北部や高津区の一部をカバーする点です。これらの地域は坂道が多く、駅までの移動をバスに頼らざるを得ない住民が多く存在します。地下鉄の開業は、この地域の利便性を一変させる可能性を秘めていました。
第1期区間の終点として予定されていた武蔵小杉駅は、再開発によりタワーマンションが立ち並ぶ巨大な街へと変貌を遂げました。もし地下鉄がここに乗り入れていれば、武蔵小杉駅の混雑状況や街の構造は今とは少し違ったものになっていたかもしれません。
武蔵小杉から川崎駅を目指した第2期
武蔵小杉駅からさらに南下し、JR川崎駅周辺へと繋ぐのが「第2期区間」の構想でした。この区間はJR南武線とほぼ重なるルートとなるため、当初から「南武線のバイパス」としての役割が期待されていました。
南武線は非常に混雑が激しい路線であり、その負担を分散させるために地下鉄を走らせるという考え方です。川崎駅周辺では、現在の京急川崎駅やJR川崎駅との乗り換えを考慮し、地下深くに大規模なホームを建設する案もありました。
しかし、第2期区間については具体的なルート選定や駅位置の決定が先送りされ続けました。まずは第1期を完成させ、その経営状況を見てから判断するという慎重な構想でしたが、結局、第1期が動き出す前に計画全体がストップすることとなりました。
乗り換え予定だった駅と街の変化
地下鉄計画において重要なのは、既存路線との接続です。新百合ヶ丘駅では小田急線、宮前平駅では東急田園都市線、武蔵溝ノ口駅付近(当初案)ではJR南武線・東急大井町線との連絡が予定されていました。
これらの接続駅では、地下鉄開業を見越してバスターミナルの整備や地下通路の確保が行われてきた経緯があります。現在でも、一部の駅周辺の不自然に広い歩道や空間は、地下鉄の入り口を作るために用意されていた名残であることがあります。
計画が中止になったことで、これらの駅周辺の街づくりは方向転換を迫られました。地下鉄ありきの発展から、バス網の充実や既存駅の改良を軸とした、より現実的な都市開発へとシフトしていったのです。
計画中止後の川崎市内の交通網はどう変わったのか

地下鉄計画が事実上の廃止となった後、川崎市はどのような交通施策を打ち出しているのでしょうか。鉄道に代わる「市民の足」を支えるための、新しい取り組みが進められています。
バス路線の再編と「縦」の移動の現状
地下鉄がなくなった今、川崎市の南北移動を支える主役は「路線バス」です。川崎市交通局(川崎市バス)や民間各社は、鉄道空白地帯を補完するために、主要駅を結ぶ直行バスや、本数を増やした幹線バスの運行を強化しています。
例えば、新百合ヶ丘駅から宮前平駅や溝の口駅を結ぶバス路線は、市民にとって非常に重要なルートとなっています。市はバス停の整備や、バス専用レーンの確保などを通じて、定時性の向上と速達性の確保に努めています。
しかし、バスには道路渋滞の影響を受けやすいという欠点があります。朝夕のラッシュ時には時間が読みづらいこともあり、地下鉄のような定時性・大量輸送能力を完全に代替できているわけではないのが現状の課題です。
横浜地下鉄ブルーラインの延伸計画との関係
川崎縦貫高速鉄道の計画中止と入れ替わるように、大きな注目を集めているのが横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸です。あざみ野駅から新百合ヶ丘駅までを結ぶこの計画は、現在着々と準備が進められています。
この延伸が実現すれば、川崎市北部の新百合ヶ丘エリアと、横浜中心部(横浜駅やみなとみらい方面)が一本で結ばれることになります。これは、かつて川崎縦貫高速鉄道が目指した「市内完結の利便性」とは少し異なりますが、広域的な交通ネットワークとしては大きな前進です。
横浜市営地下鉄が新百合ヶ丘まで来ることにより、川崎市民にとっても新しい移動の選択肢が生まれます。川崎市はこの延伸事業に協力することで、自前で地下鉄を作るよりも効率的に、北部の利便性を向上させる道を選んだと言えるでしょう。
南武線の速達化と混雑緩和への取り組み
地下鉄のバイパス効果を期待できなくなったJR南武線では、JR東日本と川崎市が連携して独自の改善策を進めています。その代表例が、等々力付近から武蔵小杉、さらには尻手駅付近までの「連続立体交差事業」です。
多くの踏切を解消することで、道路の渋滞を緩和すると同時に、列車の増発やスムーズな運行を可能にします。また、以前よりも編成数を増やしたり、駅のホームを拡幅したりすることで、慢性的な混雑の緩和を図っています。
地下鉄という新しいインフラを作るのではなく、今ある南武線を「もっと使いやすく、もっと速く」作り変える。これが、現在の川崎市が選択した現実的で持続可能な交通戦略の柱となっています。
幻の鉄道計画が現在の街づくりに与えている影響

計画が中止になったとはいえ、数十年にわたって検討されてきた川崎縦貫高速鉄道の影響は、現在の川崎市の街づくりのあちこちに刻まれています。それは土地の使われ方や、拠点駅の発展の仕方に現れています。
武蔵小杉駅周辺の発展と鉄道網の役割
武蔵小杉駅は、現在では「住みたい街」として上位にランクインするほどの人気スポットになりました。この発展の背景には、JR横須賀線の新駅設置など、既存の鉄道網が非常に充実したことが挙げられます。
当初の計画では、武蔵小杉駅に川崎縦貫高速鉄道が乗り入れることで、さらに巨大な駅になる予定でした。結果的に地下鉄は来ませんでしたが、その分、JRや東急の利便性が際立ち、現在のコンパクトで高密度な再開発に繋がったとも考えられます。
地下鉄用のスペースとして想定されていた場所は、他の用途に転用されたり、地下施設のレイアウト変更に活かされたりしています。計画の中止は、武蔵小杉を「通過点」ではなく「目的地」としての街づくりに集中させる結果を生んだのかもしれません。
新百合ヶ丘エリアの拠点性と今後の展望
川崎市の北部拠点である新百合ヶ丘駅周辺は、地下鉄の始発駅になることを想定して美しい街並みが整えられました。地下鉄計画が中止になっても、その拠点性は揺らいでいません。
むしろ、前述した横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸により、新百合ヶ丘は小田急線と地下鉄が交差する「神奈川県北部最大のターミナル」へと進化するチャンスを迎えています。川崎縦貫高速鉄道の夢は、形を変えて横浜市営地下鉄に引き継がれたとも言えるでしょう。
今後、延伸工事が本格化すれば、駅周辺のさらなる再開発や、バス路線との接続強化が進むことが予想されます。計画が中止されたことは、決して街の衰退ではなく、新しい時代に合った形での再編のきっかけとなりました。
鉄道なき後の「交通不便地域」の解消策
一方で、地下鉄の駅ができる予定だった「野川」や「子母口」といった地域では、依然として鉄道駅からの距離が課題となっています。これらの地域では、きめ細やかな移動手段の確保が急務です。
川崎市は、コミュニティバスの導入や、オンデマンド交通(予約制の乗り合いタクシー)の実験を行うなど、大規模な鉄道によらない新しい移動スタイルの構築を模索しています。これは人口減少社会における全国的な課題の先取りでもあります。
「地下鉄が来ないなら、どうやって移動を支えるか」という問いに対し、デジタル技術を活用したMaaS(Mobility as a Service)の取り組みなどが、かつての鉄道予定地を中心に進められていくことになるでしょう。
| 項目 | 地下鉄計画時 | 現在の方向性 |
|---|---|---|
| 中心となる交通手段 | 市営地下鉄(重厚なインフラ) | 既存鉄道の改良+高度なバス網 |
| 南北移動のルート | 地下鉄の専用トンネル | JR南武線およびバス専用レーン |
| 北部拠点(新百合ヶ丘) | 市内縦断の始発駅 | 横浜方面への接続拠点 |
| 未開発エリアの対応 | 新駅を中心とした開発 | コミュニティ交通等による補完 |
川崎縦貫高速鉄道の計画から学ぶ都市交通の未来
川崎縦貫高速鉄道は、その壮大な構想から「幻の地下鉄」と呼ばれていますが、その歴史を振り返ることは、単なる過去の話に留まらない重要な意味を持っています。この計画の経緯からは、都市が抱える交通課題と、それを解決するための現実的な選択の難しさが浮き彫りになります。
かつては「鉄道を作ること」が街づくりの絶対的な正解であった時代もありました。しかし、人口減少や財政の制約、そしてライフスタイルの多様化が進む現代においては、多額のコストをかける固定的なインフラ整備には慎重な判断が求められます。川崎市が下した「計画の中止」という決断は、未来の市民に過度な負担を残さないための賢明な選択であったという評価もなされています。
現在は、地下鉄に代わる存在として、横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸や、JR南武線の利便性向上、さらにはきめ細かなバスネットワークの構築が進められています。川崎市の「南北の繋がり」という課題は、一つの巨大なプロジェクトではなく、複数の交通手段を組み合わせた柔軟なネットワークによって解決されようとしています。
私たちが住む街や利用する鉄道の裏側には、こうした多くの議論と決断の積み重ねがあります。川崎縦貫高速鉄道の計画は地図から消えてしまいましたが、その構想が目指した「もっと便利で、もっと繋がる川崎」という願いは、今の街づくりの中に形を変えて生き続けているのです。




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